林明子さん、自身を語る。
〔引用資料〕
(1) 林明子の絵本、その出発と成長
『絵本の時代に』松居直・著 大和書房 1984
(2)
長靴にささった一本の釘─林明子さんのこと─
『僕の冒険(ファンタジー)』 斎藤惇夫・著
日本エディタースクール 出版部 1987
(3) 対談・五味太郎/対談・宮崎駿
『素直にわがまま』 偕成社 1990
(4) 林明子・はじめてのおつかい
「わたしの絵本づくり」月刊絵本別冊 すばる 書房 1979
(5) 太郎が絵本作って遊んでる! 林明子著 「季刊絵本」9号
特集・五味太郎 すばる書房 1984.4
(6) 長谷川摂子連載インタビュー10
林明子─その1─ 小さな心が感じるものの大きさを…
絵本のたのしみ こどものとも370 折り込みふろく
福音館書店 1987.1
(7) 長谷川摂子 連載インタビュー11
林明子─その2─ 抱きしめたくなる子どもをかきたい
絵本のたのしみ こどものとも371 折り込みふろく
福音館書店 1987.2
(8) 長谷川摂子 連載インタビュー12
林明子─その3─ 子どもの「しぐさ」に魅せられて
絵本のたのしみ こどものとも372 折り込みふろく
福音館書店 1987.3
(9) 絵本作家訪問記・林明子さん
「母の友」1995年1月号(500号)福音館書店 1995
(10)大きな目が写し取った世界 作家を訪ねて 林明子
「ユリイカ」2002年2月臨時増刊号
修業時代
林明子:1945年生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒業。
林(明子) わたし自身はあのころ、M先生の、シャープでしゃれた絵がすごく好きだったの。だから、今みたいな絵を描くようになるとは夢にも思わなかった。
五味(太郎) それが、どこで、どんなふうに変わってきたんだろうな。
林 どうしてだろう……。こういう世界があることを、まず知らなかったのね。絵本を始めてから、ピーター・ラビットをみたり、今まで知らなかった人の絵を見るようになったら、逆のカルチャー・ショックで、古くて、少し野暮ったいのがすごく素敵に思えてきたの。 (3)〔上記引用資料の(3)を示す〕p87
五味さんに初めて会った時の印象は強烈でした。今まで、見た事のない種類の人で、全ての価値観を、ひっくり返しそうな気がして、わくわくしたものでした。私たち皆が、「先生」と呼んで畏れ敬っていた、イラストレーターの真鍋博さんを、新入りの五味さんが、事もなげに、「あなた」と呼ぶのを聞いた時、そして、初日にその新米から、「いっしょに帰ってやろうか」と言われた時の驚きは、今では懐かしい、十五、六年前のことになりました。 (5)p64
私の机は、真鍋博さんが、お下がりを下さった立派なもので、これまで、すべての絵本をこの机で描きました。今、私の仕事部屋には、真鍋博の机と、五味太郎のイーゼルがあり、二つとも、私の宝物です。 (5)p65
何事にも、エネルギーの出し惜しみをしない彼は、何事も、おっくうがる私に先駆けて、絵本第一号を出しました。そして、彼が、私を、絵本の編集者に紹介してくれなかったら、私はまだ、絵本を描かせてもらえないままでいたかも知れません。 (5)p65
絵本
『はじめてのおつかい』(福音館書店)
長谷川(摂子) 林さんにはそういう繊細な面と、さっきのちっちゃかった頃の遠慮のない率直な感じと、両方あるんですえね。そう考えると『はじめてのおつかい』のみいちゃん、そっくり。
林 私、『はじめてのおつかい』の原稿もらった時、これは自分のことだと思ったんです。
長谷川 筒井頼子さんとのコンビはほんとに奇跡的──筒井さんの微妙な内面性が、林さんの繊細さと響きあって、林さんの絵に結晶してるって感じ。私、いつも、林さんの絵を見て、どうしてこんなに、みいちゃんやあさえちゃんに、もう、どっと、押しよせるみたいに林さんが感情移入できるのか、不思議だったの、謎がとけた。 (6)
──この『はじめてのおつかい』なんですが、最初に筒井頼子さんのテキストがあって?
そうです。編集の方と渋谷のフランセで待ち合わせして読ませていただいたんです。で、読んで、すごっく気に入っちゃって、その後筒井さんの童話が「こどもの館」とかに載ったんですね。ものすごく素敵でファンレターを出したりして(笑)。で、その後に描いたラフ・スケッチがすごくひどいんですね。
わたし、物語絵本というのこれが初めてだったのね。絵本としては3作目なんですけど「かがくのとも」でしたし、物語絵本というのはね。それで、どぎまぎしながらえがいたラフがすっごっくひどくて。その後、編集の方がいろいろと言ってくださって、やっとできたっていうか(笑)。 (4)p92
で、ここも、いろいろアドバイスしていただいて本当に助かったんですね。たとえばテーブルクロスが斜めになっていたりね。お鍋がふいてたりとか、赤ちゃんが泣いてたり……。何しろとってもお母さんが手が離せなそうな感じをこの画面全体に出すようにってんで、いろいろと協力いただいて。で、最後にいっつもわたし締め切りまぎわになって、徹夜続きでもう1つも何も描きたくないぐらいなのに、ここにクレヨン落としたり、コップのジュースがこぼれてたほうがいいとか(笑)。 (4)p93
──で、ここで猫が戻ってくるんですね。さっきおじさんが来てびっくりして言っちゃった猫が。
この猫はね、筒井さんの原稿に最初っからあったんです。日なたぼっこしてた猫が、牛乳をくださいって言うと、ニヤーンて鳴いたりするんですね。で、絵で描いたので文章のほうは削っていただいたんです。
で、ここは主人公の子が戻るっていうんで、左方向に向かって描いたんですね、最初。でもページ展開があるので右方向に戻してほしいって言われて……できるかなあと思ったけど、やってみたら結構できるんですね。同じほうを向いているのに戻ったように見えるっていうのは。 (4)p99
──これは筒井さんの原稿もらってから絵本として完成するまでどのくらいかかりました?
2ヶ月くらいです。ラフを2回作って本描きに入りましたから……。でも、その本描きが大変で最初に描いた絵がまるで駄目だったんですね。何回も描き直して、マジックで描いてみたり水彩でやってみたり……
1枚描けるとあとはみんな描けるんですけど、いつも1枚目で苦労してしまうんですね。1回で決まるってことが全然ないんです。 (4)p100
──これ、画材は何を使われたんですか?
初めにペンでカラーインクの黒で下書きを描くんです。その後にカラーインクでサーッと色をつけて……それだけじゃすごく味気ないのでその上から色鉛筆で味を出すというか……。
初めはイラストボードに描いてたんですね、きれいに塗ってムラがないように大事に大事に描いて、でもできあがるとすごく固苦しい絵になるんですね。これはきっとイラストボードが高いのでビビッちゃうから安いペラペラの紙で描いてみたらって言われて(笑)、本当にペラペラの紙で描いたらすごく気が楽になって(笑)。
でもね、これは物語絵本としては、わたしの初めてのものだし、やっぱり記念すべき1冊だと思っています。 (4)p101
『あさえとちいさいいもうと』(福音館書店)
林 世界がちがうのに、絵本のことすごく詳しいんでびっくりしてるんです。
宮崎(駿) いや、そんなに詳しくないですよ。でも、林さんの絵本は好きだから。
林 どういうところが好きですか?
宮崎 まず、かっこよくやろうと思ってないとこ。(笑)
林 思っているけどな。(笑)
宮崎 林さんの人柄もあると思うんだけど、童画描く人っていうか、絵本描く人には、スタイルで商売やろうと思っている人が多いと思う。なるべくかっこいいスタイルを持つと、絵本作家として確立したみたいな錯覚を持った人がいるんだけど、林さんの絵を見ると、もっとよく描ければいいのにと思いながら描いている感じがする。
林 どうしてわかるんだろう。(笑)
宮崎 子どもはもっといいしぐさをするし、のびのびしているのにっていう思いで、一所懸命見つめている林さんが見えてくるんですよ。そういう描き手が描いているってのがわかるんだ。『あさえと……』の最後に妹が抱きかかえられる絵があるでしょ。あれ、いいですね、妹は抱きかかえられたくないから、でれっとしている。あれがいい。
林 無心というか、いま何が起こっているか知らないでなんとなく身をまかせている子どもの姿ってすごくかわいいんですよね。
宮崎 ものすごい観察とえんえんたる苦労で描いているんだよね。 (3)p108
『はじめてのキャンプ』(福音館書店)
五味(太郎) 俺もまったく見当がつかないものを描くときに資料を見たことあるけど、まず、見ることは少ないね。
林 わたし、ポストでも見に行くのよ。
五味 うん、電話ボックスも取材して描いてるもんな。
林 そうそう。
五味 あなたは、そんなふうに取材してビジュアル化するというのを仕事にしているんだよ。俺がそういうことをしないのは、ひとつには、だれもそんなことを、俺には頼まないもの。
林 でもね、そんなことあまり必要じゃないんだと思いながらやってるの。
五味 たとえば、『はじめてのおつかい』と『はじめてのキャンプ』を比べると、取材の要素が『はじめてのキャンプ』では全然なくなっるよね。
林 ないない。すごくラクでした。
五味 それがすごく林さんっぽいんだよね。メディアとしての完成度が。
林 わたしね、『はじめてのキャンプ』というのを描いて、五味さんてずいぶんラクな仕事をしているんだなと思ったの。(笑) (3)p100
『ほくはあるいたまっすぐまっすぐ』(ペンギン社)
林 だって三歳のかわいらしさは三歳にしかないんですもの。姪たちをモデルにしているので、よく写真を撮るんですけど、それを見ていると、子どもの成長の早さに驚きます。一ヶ月経つと別人なんですよね。同じ子なのに、その都度、全然違う子として生きているような感じがします。
倉田(訪問者) 写真はよく使われるんですか?
林 じっくり、ゆっくり描くもんですから、動きの一瞬を描きたいときは、写真がとてもありがたいです。
例えば、手を描くときに、こういう格好の手がないかな、と写真を探したりします(笑)。
でも、やっぱり細かいしぐさは、生身の子を見てないと。おしりをぺたんと落して正座したり、手を後ろに組んで寄りかかったり、子どもがある時期までしかしない仕草ってあるんですよね。
倉田 女の子の主人公が多いですね。
林 身のまわりに、モデルになってくれる現役の小さな男の子がいないんです。甥っ子の二人はもう大きくなっちゃったから。実は『ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ』も女の子がモデルなんですよ。姪に「こんな格好して」って言って。
このときは人形も作って、研究したんです。針金を芯にいれて、いろんなポーズが出来るようにして。 (9)p29
『おつきさまこんばんわ』(福音館書店)
林 姪が赤ちゃんの頃。、隣に住んでいたもんだから、月が出た時、抱っこして外へ出て。月が屋根から昇ったばかりの時に前へ進むと、月が隠れちゃう。ちょっと下がるとまた出てくる。何回も「こんばんわ」って下がって、「さようなら」って前へ出たら、とっても喜んで、その遊びをしょっ中やってたんですね。それを絵本にしてみたんです。
長谷川(摂子) 赤ちゃん絵本って、ストーリーはまだわからないから、という前提で作られことが多いんだけど、林さんの絵本にはちゃんとドラマがある。「あんよが出ない出ない」と気をもませて、次のページで「あっ、出た!」って、叫ぶ。そのたびに子どもの心がリズミカルにゆれて……これは立派なストーリーですよね。 (7)
『こんとあき』(福音館書店)
倉田(訪問者) 絵本の下描きというのはどんなふうにするんですか?
林 本と同じサイズのラフ(下描き)を作ってみたりします。『こんとあき』のときは、十冊くらいラフを作りました。ぬいぐるみを連れて、砂丘を通っておばあちゃんに会いに行く、というのは決まっていたんですけど、ストーリーが曖昧だったのでいろいろ作ってみたんです。初めは汽車のトイレに閉じ込められたり、切符を落したり、エピソードがごちゃごちゃしてたんですけど、だんだんすっきりしてああいうふうになったんですよ。 (9)p30
神村(訪問者) ご自分で一番気に入っている作品はなんですか?
林 『こんとあき』ですね。初めて大判の絵本の原作も絵もまかされて一生懸命描いたから、愛しいんです。でも、今後新しく描いた作品で、これ、と言えるようなものができるといいなと思います。
一生の間にあと何冊もかけなと思うので、一つ一つ気を入れてやろうと思っています。一見気楽に肩の力を抜いたようなものも、こっそり気合を入れてやりたいと思っています。絵本づくりには定年がないからいいですね。
あ、でもボケちゃって、同じ絵本を何回も描いちゃったらどうしよう(笑)。
倉田 今後はどんな子を描きたいですか?
林 今まで、割と大事に育てられているような子どもばかり描いていたので、今度は野生っぽくて、針金みたいにぴんぴんした子を描いてみたいな、と思っています。 (9)p31
性格
林 子どものときはすごく恥ずかしがり屋でした。今は「信じられない」って言われますけど(笑)。ろくに口もきけなくて、いつも先生に声が小さいと言われてました。友達と一緒に遊べなくてひとりぼっちで。でも、みんなが遊んでいるのに自分だけひとりだといけないような気がして、校庭を端から端まで走っていれば何かやってるように見えるかしらって走って見たりしました(笑)。 (9)p30
最初Tさんから鳥取に縁の深い林さんのこと何か書いてよ、と言われた時、実はあの『なめとこ山の熊』の冒頭を何故か思いだし、うっかりおひきうけしてしまったのです。つまり「林明子さんのことを書くならおもしろい」と、リズミカルに思ってしまったという訳です。それは多分、林さんが無類の恥ずかしがり屋で、同時に、いや、それ故に大胆不敵な画家であるという認識を僕が持っているからなのでしょう。そうでない創作者を僕は認めることができません。
以前林さんは瀬田貞二先生の追悼文集に、秘かに憧がれ慕っていた先生と生前、わずか二回、それもほんの束の間二人きりになったことがあり、しかし二度共上がってしまいほとんど口をきけなかったこと、しかも、わずかに口からとびだしてきた言葉が、自分でもあきれかえるほど馬鹿馬鹿しいものであったということを記していました。そして「きっといつか、一対一の時にも、友達みたいに笑いながら会話が弾むほどに自分を成長させたい、とその時思い、懸命に耐えた」とも書いていました。 (2)p113
林さんは小学校から高校卒業まで、フランス帰りの画家に絵を習っていました。なにしろ大人になってからも瀬田先生と口をきけない人ですから、その画家ともほとんど会話ができません。一枚の絵を描き了えて「できました」と言うのがやっとだったそうです。小学校時代のある雨の日、彼女は長靴をはいてその画家の家に行きました。ところが道で釘をふみつけてしまい、その釘が靴の裏をつき抜けて足の裏を刺すのだそうです。自分ではとても抜くこどができません。画家の家に着いた時には血がにじんでいます。絵を描いている間は黙って耐えていましたが、いざ帰るという時、この無口な恥ずかしがり屋の少女もついに言います。「釘が、釘がささっているの!」と。むろん画家は釘抜きでぬいてくれた訳ですが、これは他人が決して介入できない、また介入を許さない林さんのドラマでしょう。 (2)p116
絵本に対する考え方
「さりげない形で、その中に気持ちの入っている絵」を目指したい、「さし絵が、人のしぐさの一番いきいきした美しい瞬間を選ぶのは、詩が言葉を選ぶのと同じだ」、「絵が、何げない人のしぐさを描くのに成功すると、写真よりも、実物よりもリアルな表現方法になります」といった林さん自身の言葉が、作品により実証されているといえましょう。 (1)p122
長谷川(摂子) 二十歳前後の頃って、自分のことふりかえってみてもすごく自己中心的で……。
林 自分だけね。
長谷川 子どもなんかゴミみたいに思っててね。そこから抜け出して、子どもや自然に目がいくのには、わたしなんかずいぶん時間がかかったんだけど、林さんはいつごろから現実の子どもに目を向けるようになったの?
林 自分で子どものしぐさをかいても、いつも本当じゃないのね。少女漫画とかアニメーションのしぐさと、本当のしぐさの違いは歴然とあるんだけど、本当じゃないほうになっちゃうの。それでちゃんと現実の子どもを見るようになったら、頭で想像するよりも現実の方が全然すてきなの! 天才だと内なる美の叫びを画面にあらわすでしょう? わたしは外なる美を追い求めているという感じなの。凡人。
長谷川 でも少女漫画やアニメのパターンを現実の子を見つめることから抜け出すという林さんの方向って、とても大切なことをおっしゃってる気がする。しかも嘘かほんとうかということではなくて、現実の方がすてきと言う美意識に導かれるってことが……。林さんは詩の言葉を選ぶように子どものしぐさを選ばれるっていうことですが。
林 それも結局は自分が創り出すというんじゃなくて、モデルをしてくれた子どものしぐさの中から選んでるんですよね。かけなくて、追い詰められて、そして最後に子どものしぐさが決まって、かいた時に、ああ、運がよかったと思うのね。締め切りがもっと過ぎてもまだできなかったはずなのに、まあここんとこでできたからって。
長谷川 言葉を探すときも同じよね。どうしても決まんないと思ってずっと探してて、台所でキュウリ切りながらパッとひらめいたりしてね。でもそれには、醸成の時間というのが絶対必要。
林 その運のよさが最初から来ることはあり得ないの。いつも永久に仕上がらないという感じなんで、脂汗流しながら、「神さま助けて」「いいかげん許して」と思いながらかいてる。
長谷川 林さんの絵は、いつもたえず呼吸しているというか、一作一作がドキドキしちゃうの。固定してなくて、前進前進という感じですごい努力が感じられて、私なんか尊敬しちゃう。
林 大変なんだけど、今、なんてうれしいんだろうって、毎日思っちゃうの。二十代には想像してなかった仕事を今しているんだけれど、まだ何か夢のよう。だから、さぼりたいって思うたびに、ありがたいというのを思い出すの。
絵本かいているうちにね、だんだん自分の個性はいらない気がしてきちゃって。個性なんて一人分でしょ? 普遍性の方がずっとすばらしいと思っちゃうの。
長谷川 子どもの時に読んだ本って、作者の名前なんて無意味だもんね。
林 だから作者が消えないと。「私は林明子さんのファンです」と言われるよりも「あさえちゃんが好きです」って言われたほうがずっとうれしい。 (8)
林 それはわたしもある。何回描き直しても、まだだめ、まだだめって死ぬほどやるんです、描き直しを。絵のうまい人たちはたくさんいるかもしれないけど、この苦労のできる人はいるかなって思ったりする。 (宮崎駿との対談) (3)p106
林 わたしは五人兄弟で、そのうち女がわたしを除いて三人いて、それぞれ子どもがいるんです。わたしは十五年前に描き始めたんですけど、そのときからいつもちょうどいい具合に順々に姉や妹から小さい子をあつらえてもらえたという幸せ者。(笑)
宮崎(駿) 林さんの絵を見ていると、母親になっちゃうとたぶん見落としちゃうものを見てる気がする。
林 わたしは観客だから……。
宮崎 よく観てるのがわかりますね。ああ子どもらしさがよく出てるなあって感心してますよ。 (3)p110
五味(太郎) ぼくの考えている絵本というのは、絵を主体に使っていく表現ということなんだけど、その考え方からみると、子どものために絵本を描くとか、逆に絵本は子どものために描かれるものだとかいう言い方はよくわからないんだ。
林 でもやっぱり、子どもを喜ばせたいと思ってやってる仕事なのね、わたしの場合は。だけど、子どもの眼というのはおとなよりずっと高いわけ。それに、自分の経験から言うと、子どもは何でも敏感に吸収しちゃうし、心に刻んじゃうのね。だから、最高の絵を描かなきゃという気持ちはある。 (3)p90
林 堀内誠一さんとの対談(9月号)に出てきた「官能的」という言葉、すごくきにいってしまって……。私はね、理屈じゃなくて、体の毛穴で感じるような絵をかけたらいいなと思っているんです。絵から、その子を抱きあげたときの重さとかぬくもりとか、もしかしたらちょっと身じろぎする感覚とかが想像できるような。
長谷川 ほんとにそのものズバリ、林さんの絵ってそういう感じがある。子どもって、やっぱり抱きしめたい。
林 それから匂いも好き。だから子どもをかくときは、視覚だけじゃなく、官能的皮膚感覚ぜんぶで感じられるようにかきたいの。 (7)
好きな作家は?(聞き手=南谷佳世)
林 まず、『ピーター・ラビット』(ポター)、それに『おさるのじょーじ』(レイ)、『りんごのき』(ズマトリーコバー)の絵も好き。マックロスキーは、『ころりんケーキ ほーい』が大好きなんですけど、絶版なんですよね・・・。ワルター・トリヤーとか、さらっと描いたのにうまい人には憧れます。ああいうのも上手だと思う。やっぱり線のきれいな人はいいなあ。面だけ使うのは、むずかしいんですよね。線を描くとしまるんですけど、線を使わないとすごくむずかしくて。でも、今とは全然違う絵も描いてみたいなって思っているんですけどね。ふふ。 (10)p82
他者の評価
以前林さんは僕に、あらゆる角度から人間を自在に描けるようになること。またあらゆる人が美しいと感じる色を使えるようになること、それが夢、と語ったことがあります。 (中略) しかし最近の林さんの絵を見ると、彼女が愛してやまぬ子どもたちを描いているのではなく、ちょうど薮内正幸さんが筆で鳥を愛撫しているように思えるごとく、筆で子どもたちを愛撫しているのではないかと思うことがしばしばあります。そして、子どもの毛穴まで描きたい、という彼女の言葉(『こどものとも』1987年1、2、3月号の月報)を聞くと、その愛撫の手はようやく自由に、大胆になってきたとも思えるのです。あのルノアールに似て! 彼女の修業の時代は去り、いよいよ勝負の時が来たのでしょうか。僕はただただ息をひそめてこれからの彼女の仕事を見ていたいだけです。 (2)p117
宮崎(駿)ほんというと、「トトロ」は「ナウシカ」よりもずーっと前、十何年前からやりたかった企画なんです。製作にはいる前には、林さんの絵本をいっぱい買い占めてきましてね……。
林 えー!
宮崎 アニメーターに「子どものしぐさっていうのはみんなが描いているのとは全然ちがうんだから、ちゃんと本を見て、子どもっていうのがどんなものかを考えて、つかんでから描け」っていったんですよ。
林 恥ずかしい、どうしよう、下手だもの……。
宮崎 いちばんいい例として林さんの絵本を積んで、見せたんです。アニメーターは記号で覚えているんですよね。走るとか歩くとか、ほんとに観察して描いている人はほとんどいない。
林 でもわたしもそうでした。アニメーターになりたいなあと思っていたころ。(笑)
宮崎 本物のほうがずっと見てて楽しいですよね、なんでもないしぐさをしたとか。たとえば、子どもが親と歩いているとき、まっすぐ歩くことなんかありえない。うしろを向いたり、横に石があったらその上にのっかって歩いてみたり、とにかく片時もじっとしていないでしょ。その歩き方とか足の運びをアニメーターが常識的に描くと、ただ同じ歩幅で歩いていくだけになっちゃう。そうじゃない! 運動会じゃなくて子どもが走るときは、気持ちがわくわくしてたり、一刻も早く行きたいから、自然に走りになっちゃうだけで、走ろうと思って走っているんじゃないんだ、と理屈はわかるんですが、描けないんですよね、結局。だから、「ラピュタ」とか「ナウシカ」みたいな物語(ストーリー)でひっぱっていくもののほうがラクなんです。
林 それはそうだと思います。本当らしい、っていうのはむずかしいんですよね。 (3)p113
五味(太郎) 世の中、とりあえずやってみるみたいなパターンの人多いでしょう。ところが林さんは、それをやったらだめになるというような直感があって、生理的な恐怖感とか嫌悪感というのが、そうとう敏感にはたらく人で、逆に、そういうことが大きなパワーになっている人じゃないかという気がするの。 (3)p84
子ども観
林 赤ちゃんのバンディング(赤ちゃんの丸々として重みのある感触)が好きなの。私、赤ちゃんのちっちゃい足の裏をほっぺたにくっつけたりする。
長谷川(摂子) 私もよくする。(中略)
林 ほんとに平和の源という感じ。だけど赤ちゃんて、恐いというところもある。(中略)
長谷川 赤裸の命という感じがするのよね。命があるということ自体があらわに見えると不安になるの。(中略)
林 直接触れ合うと、恐いのかもしれない……。
長谷川 林さんの、そういう官能的な面と、心理的に文章にものすごく感情移入しちゃう面とが一つになってるから、林さんの絵って奥行きがあるのね。(中略)子どもを見てて、ああ、林さんの絵みたい、と思うと子どもがすごくかわいくなるの。だいたい林さんの絵本を見ている母親は、みんなそういう気持ちになるみたいだけど。(笑) (7)
林 ケストナーが、悲しみの感情は、内容ではなくて、大きさが問題なんだと書いているんですが、本当にそうだ!よく言ってくれた、とうれしかった。今思うと、どうしてあんな事が辛かったのか、あんな事が恐かったのかと言えることでも、その大きさだったら誰にも負けないと言う感じですものね。子どもの感受性というものは、自分のことを思い出すだけでもゾッとするほど強いでしょう?
長谷川 保育園に勤めてた時に、いつもとても元気な五歳の女の子が、一日中、しくしく悲しそうに泣いていたの。迎えに来たお父さんに聞いたら、「ゆうべね、人間はみんな死ぬんだと言ったら、それがひどくこたえたらしいんです」って。私、その子の泣き顔が忘れられない。 (6)
林 ドストエフスキーがね、子どもというものはぜんぶとても美しい。醜い子どもって見たことがないって書いているんです。子どもの顔って、きれいですものね。一番の美人でも、赤ちゃんにはちょっとかなわないと言う感じ。
長谷川 赤ん坊の表情にうたれる感じって、なんて言っていいのか──自分が、何か深い静かな所へひきこまれるようで……。 (7)
おわりに
長谷川(摂子) 私、子どもの心情の豊かさに、まだまだ憧れていて、子どもの方が自分よりもっともっと……というふうに思っちゃうから。
林 豊かだもの。喜びも悲しみもぜんぶおおきくて。
長谷川 ほんとに、赤ちゃんの笑顔ひとつでも底知れない魅力。絵本読んでやってて、赤ちゃんがニターッと笑ったりしたら天国に昇りそう。読んでやっただけでもそうなのに、その絵本をかいた林さんは……。
林 神さまにほめられたみたいな気がするの。 (3)
五味(太郎) 俺は絵本以外のこともわりとやるけど林さんは?
林 絵本だけ。どうしてかって、絵本サマサマなの。絵本が大好きなのね、わたし。 (3)p104
1995.6.25作成 2017.8.28更新