日本経済新聞
夕刊「本の国から」「こころの一冊」欄連載文
『あな』(谷川俊太郎/作 和田誠/絵 福音館書店)2002.1.4掲載
〈日曜日の朝、何もすることがなかったので、ひろしはあなを掘りはじめる。お母さんや妹、友だちやお父さんが来て声をかけるが、ひろしは適当に返事をして掘り続ける。自分がスッポリ入ってしまうようなあなを、汗を流しながら……。すると、あなの底から芋虫が這(は)い出してきた。ひろしの肩から力が抜けて、あなの底に座りこむ。また両親らが声をかけるが、適当に返事をして座り続ける。見上げると、青い空を一匹のちょうちょうが横切っていった。ひろしは、あなから飛び出し「これは、ぼくのあなだ」ともう一度確認して、ゆっくりあなを埋め始める。〉
東京都○○市の図書館では、小学校の教室で、お話会(ストーリーテリング)を行っている。例えて言えば、昔、おぱあちゃんが囲炉裏端で語ったような感じだ。その合間に絵本も一、二冊読む。この「あな」もよく読む一冊だ。読む方も、子どもたちがどんな反応をするか、楽しみな絵本である。子どもたちもよく見人ってくれる。あなを掘ることもおもしろいし、親が声をかけてくれるのに、ちょっと無視したような返事をするひろしにも共感できるのだろう。そして最後に、せっかく掘ったあなを埋めてしまう。時々「えっ、どうして?」と声が上がる。しかし、読み手はニンマリとするだけで絵本を閉じる。ほんのしぱらくの間、子どもたちの心の中で色々な思いが駆け回っているのにちがいない。作者は、子どものころ自分にもあった孤独について書いたといっている。それを聞き「子どもの成長には、満たされた環境の中で一人になれる時間も持てることが大切だ」という言葉を思い出した。ともあれ、この絵本を保育園などで読むとあな掘りごっこがはやるというし、十代の若者たちにも読んであげたいという思いに駆られる、なんとも魅力的な絵本である。
『どうぶつしりとりえほん』(薮内正幸/作 岩崎書店)2002.2.1掲載
〈書名の通り、一ページずつ動物のしりとりをしていく絵本である。始めは「らっこ、つぎはなにかな」「こあら、つぎはなにかな」と続き、「らくだ」「だちょう」と、しりとりを楽しみなが
ら薮内正幸さんの動物の絵を楽しめる。〉
図書館に来る小さな子どもたちに絵本を読むことは、児童担当の重要な仕事の一つだ。絵本の時間になって、おはなしの部屋に子どもたちが入ると、一回大体四冊の本を読む。その中に、ナゾナゾしりとりのように子どもたちが声を出して楽しむ絵本を一冊入れるようにしている。薮内さんの動物絵本『どうやってねるのかな』など、よく使われているが、この「しりとりえほん」は学齢前後の少し大きな子どもたちにちょうどよい。単純なしりとりのようで、色々仕掛けがある。例えぱ〈ばく〉の後、「今度は、く。くで始まる動物は?」子どもたちは口々に「くまーっ」と答える。「残念でた、違います。それではヒント。羽を大きく広げて、きれいな……」すると、「くじゃくー」「ピンポーン、くじゃく、だから次もくですよ」子どもたち、もう一度「くまーっ」。また〈まんとひひ〉〈ひょう〉の後「次は、うですよ」子どもたち「うさぎ」「うし」など知っている限りの名を叫ぶ。しかし当たらない。「うですよ、う」とページをめくると、鵜という鳥の絵が描かれている。
薮内さんは一昨年亡くなられた。一度、講演を聞かせていただいたが、動物や虫好きだっただろう少年の面影をそのまま残していられるような方だった。描かれる絵はすぐれて写実的でありながら、とても優しい感じがする。この絵本が最後の仕事ではないが、子どもたちと一緒に楽しめる絵本を最後にもう一冊残してくださったという思いが強くする絵本である。
『三びきのこぶた』(イギリスの昔話 瀬田貞二/再話 山田三郎/絵 福音館書店)2002.3.1掲載
〈貧しくて子どもたちを育てられなくなったお母さんぶたは、三匹のこぶたをよそへだす。始めのぶたはワラの家を作るが、狼(おおかみ)に「ふうふうのふう」と吹き飛ばされ食べられてしまう。次のこぶたも木の家を作るが食べられてしまう。三番目のぶたはレンガの家を作る。狼は吹き飛ばせないので、カブ畑やリンゴ畑、町の祭りに行かないかと誘いにをかける。しかしこぶたは約束の時間よりも早く出かけて、狼をやりこめる。怒った狼はとうとう煙突から入り込もうとするが、逆にこぶたは狼を大鍋でことこと煮て、晩ご
はんに食べてしまう。〉
お母さん方に絵本の話をする機会があると、必ずこの絵本のことを話すようにしている。お母さん方の反応は十中八九「知ってるお話とちがう」である。この絵本はイギリスの昔話の原型に近い。ぜひこの原型に近い骨太のお話を、最初に子どもたちに出合わせてほしいと思う。このお話、冒頭から子どもたちの心をゆり動かす。こぶたたちは、お母さんから家を追い出されるのだ。そして次に兄弟を食べた狼が、今度は三びきめのこぶた(子どもたちは自分を同化させている)に向かってくる。しかし、狼の悪略を危機一髪で三度も切り抜け、最後は逆に狼を食べてしまって、完膚なきまでにやっつけてしまうのである。昔話は、ストーリーのおもしろさの中に、ドギドキワクワク、悪には罰を、怖いもの見たさなどを盛り込み、最後は子どもたちが大満足する形で終わるのが常である。それでもどこからか「残酷」という声が聞こえてきそうだ。それに反論する方法はいくつもあると思うが、まず忘れてはならないのは、子どもたちが最も満足のいく状態、つまり、お父さんお母さんや身近な人の声で聞く残酷さだということだ。こうした経験を通じて、子どもたちは愛情豊かで、かつ自立した子に育っていくといわれている。
『はらぺこあおむし』(エリック・カール/作 もりひさし/訳 偕成社) 2002.3.29掲載
〈日曜日の朝、ちっぽけなあお虫が生まれました。あお虫はおなかがぺっこぺこ。月曜日から一日ずつ、リンゴ、ナシ、スモモなどを食べ、土曜日あお虫が食べたのは、チョコレートケーキ、アイスクリーム、チーズ、そしてペロペロキヤンディー等々。おなかをこわしてしまいます。また日曜日、緑の葉っぱを食べて元気になったあお虫は、やがてさなぎになり、きれいな蝶(ちょろ)になりました。〉
図書館で子どもたちに絵本を読む場合、事前に何回か練習するのだが、読み手は大げさに演ずるのではなく、おもしろさは絵本にまかせて、ゆっくり心をこめて読むのでよいと思っている。でも時々、ちょっと子どもを驚かせてやろうと思うことがある。例えば、いろいろな大きさの絵本が出版されているこの「はらぺこあおむし」でやったのはこうである。まず、子どもたちの手のひらサイズのミニブック(横13センチ)で読み始める。子どもたち「よく見えない!」それではと、横23センチの英語版を取り出し、「ザ・ベーリィ・ハングリー・キャタピラー」と読んでいく。子どもたち「わかんない!」そこで、いつもの絵本(横30センチ)を取り出すが、「いや、ちょっと待って」カーテンの後ろに隠しておいたビッグブック(横58センチ)を持ち出し、両手で抱えるようにページをめくると、1メートル以上の大パノラマ。最後のページでエリック・カールの鮮やかな切り絵の蝶が大きく羽を広げるのである。この話をわがつれあい(保育士)にしたら、保育園でこの絵本を人形劇でやった時の話をしてくれた。その時はチョコレートケーキもアイスクリームも全部本物でやったというのだ。人形劇が終わってホールを出ていく子どもたち、本物のお菓子たちに「サヨナラ」をしていたとか。これには参った。図書館ではちょっとまねができない。
『じてんしゃにのろうよ』(横溝英一作 福音館書店 月刊かがくのとも391号) 2002.4.26掲載
〈あきら君は自転車に乗るのが大好き。でもまだ補助輪つきで乗っている。「僕もみんなみたいに補助輪なしで走りたいな」。そこでお父さんが乗り方を教えてくれることになった。お父さんはまず、補助輪をはずし、サドルを低くした。そして何とペダルもはずしてしまったのだ。「えっ、それじゃ、
どうやって走るの」。公園に行って、お父さん「まず地面をけって進んでごらん。ペダルがないから足に当たらないだろう」—あきら君が乗れるようになるまでが描かれている。〉
これは福音館書店の「かがくのとも」の一冊。絵本と言う
と物語絵本を普通考えるが、科学絵本も忘れられない。特にこのシリーズは大人でも「そうだったの!」と新しい発見のある絵本が揃(そろ)っている。また、このシリーズは動物・虫・植物・天文など科学と呼ばれるものだけでなく、お料理・手品・工作など、子どもたちが自分でやってみる内容のものも多いのが特色だ。科学絵本も子どもたちにたくさん出合わせてあげたいと思う。
さて、この「じてんしゃにのろうよ」は月刊版として出て、まだハードカバーになっていないが、最近の高く評価したい絵本の一冊だ。ちょうど我が家の息子が補助輪をはずしたがった時期と出版が重なって、さっそく絵本の通りにやってみた。すると、二時間もしないうちに乗れるようになった。それも一度も転ばず、ケガもしないで! 上の娘の時は一週間かかった。それも植え込みに突っ込んで大きなすり傷を作り「お父さんとはもう練習しない!」などと言われながら……。それ以来、絵本の時間などで、よく子どもたちに紹介している。必ずだれか借りていってくれる。ただし、車には十分気をつけて! 早くハードカバーにしてほしい絵本の一冊である。
〈『じゃあじゃあびりびり』は「じどうしゃぶーぶーぶー、いぬわんわんわんわん」など。『ぱいぱい』は、ひよこが「こんにちは、ぱいばい」、ぞうが「こんにちは、ばいばい」などの繰り返し。『みんなでね』は男の子、ぞう、ねこ、ありなどが一緒になって「みんなでね、おきたの。みんなでね、まんまたべたの」など繰り返す「あかちゃんのほん」セットの三冊〉
ブックスタート運動のことが話題になっている。早い時期に優れた絵本に出会って、子どもたちが本を大好きなことを親子で体験し知ってもらおうという運動である。この子どもたちが初めて出会う絵本に必ず入れてほしいのが、まついのりこさんのこれら絵本。小さな子どもたちにピッタリの絵と単純な繰り返しで「うちの子が一番初めに気に入ったのはこの絵本!」という方が多い。
図書館児童室でこんなことがあった。もう二歳になるくらいの男の子が『ばいばい』を本棚から持ってきてお母さんに「読んで!」。お母さん「これ赤ちゃん絵本だよ」と言いながら「こんにちは、ぱいばい。こんにちは、ばいばい」。何の抑揚もなくサッサと読み「ほら、これだけだよ」。すると男の子「もういっかい」「もう一回? いいよ。こんにちは、ばいばい」なんと今度はお母さん、ひよこはひよこの声で、ゾウはゾウの声で読み始めたのである。「もういっかい」。三度目の時には親子で「かわいいね」「そうだね」と話もしている。お母さんの、子どもと絵本に対するあり方を見せてもらったような気がした。
ブックスタート支援センターが、まついさんの絵本も含め、とても良い絵本を推薦している。こうした絵本に子どもたちが一番初めに出会えたらどんなに良いだろう。ただ、この運動は公立図書館の児童室へとつながって初めて本当の意味を持つはずである。
〈ある日、こすずめはお母さんすずめに飛び方を教えてもらう。こすずめは飛べたことがうれしくて、「ぼくひとりで、せかいじゆうをみてこられる」と飛び続け、迷子になってしまう。ようやく見つけた鳥の巣はカラスの巣だった。「すこし、やすませていただいていいでしょうか?」におまえ、かあ、かあ、かあって、いえるかね?〉「いいえ、ぼく、ちゆん、ちゆん、ちゆんってきりいえないんです」こすずめはまた先へと飛んでいくことになり……〉
「絵本は読んでもらうもの」とよく言われる。自分で読むと、まず文字を見てしまうが、読んでもらうと絵だけ見ていればいい。言葉は耳から入って来るのだ。大人の方もぜひ絵本を読んでもらってほしい。絵本の楽しさが二倍にも三倍にもなるはずだ。図書館でやっている絵本の勉強会で、ある方がこの絵本を読んだ時のことは今も忘れられない。その人の「いいえ、ぼく、ちゆん、ちゆん、ちゆんってきりいえないんです」という、こすずめの悲しそうな語り口を、その後、私が子どもたちに読むときにマネさせてもらっている。また、あるお母さんから、もう社会人になった息子さんが落ち込んでいるときなどに、よく「ぼく、ちゆん、ちゆん、ちゆんってきりいえないんです」と自分を励ますように言っている、という話をうかがったことがある。三つ子の魂百までではないが、この絵本とこの言葉は子どもたちの心にきっといつまでも残ることだろう。
幼年物語の名手、エインズワースの文を石井桃子さんが訳し、堀内誠一さんが絵をつけた。誰がこの三人を結びつけたのだろう。それにしても、堀内さんのすてきな明るさを持つ絵はすばらしい。
〈ピトシャン・ピトショは道でお金を拾う。それでイチジクを買って台所の窓際で食べていると、最後のイチジクが庭に飛び出し、たちまち大きなイチジクの木になる。ピトシャン・ピトショが木に跳び移ると、そこへ鬼が現れ、「おい小僧、わしにイチジクを一つほうってくれ」——袋に入れられてしまうピトシャン・ピトショが機転をきかせて鬼をやっつけるまでを描いたフランス民話〉
ピトシャン・ピトショとは登場する男の子の名前である。絵本を開き「ピトシャン・ピトショがみちでおかねをひろいました」と読むと、もう子どもたちはクスクスと笑う。このすてきな名前の男の子を、堀内誠一さんはマリオネットのイメージを借りて描いている。きっとパリの公園などで今も行われているという人形劇をヒントにしたのだろう。この作品だけでなく、堀内さんとフランスとは切っても切れない関係にあるようだ。斎藤惇夫さんへの私信の中に「フランスの美しさをちゃんと表現することが自分の人生の完成」と書かれていたという。「フランスの美しさ」とそれをちゃんと表現しようとする「志の高さ」。堀内さんの作品に共通する〈ステキな明るさ〉の理由が一つわかったような気がした。実際、堀内さんはフランスに七年間行かれ、絵本の中にいろいろと表現している。『ふくろに——』の人形芝居と南仏、『こすずめのぼうけん』のセーヌ下流、『きこりとおおかみ』のピカルディ地方などなど。
子どもたちにとってフランスは直接関係ない。しかし堀内さんによって見事に表現された作品群は、きっと子どもたちの気持ちを満足させているに違いない。どの作品にも〈ステキな明るさ〉がみちあふれているのだから……。